杉山台工房 山岳部 / 沢渡の紹介3

沢渡の北の橋を渡ったところからはじまるなんでもない斜面が、奥羽山脈のはじまりの斜面なのです。
沢渡の北の橋を渡ったところからはじまるなんでもない斜面が、奥羽山脈のはじまりの斜面なのです。

沢渡の紹介3

 

吉田の地名を考えている。

 

司馬さん風に言ってみました。続けます。次に地形由来を考えてみます。吉田は「良い田」の転訛か「芦田」の転訛整字が一般的です。

 

良い田と呼ばれるには地形に恵まれた上に、大和朝廷由来のコメ至上主義日本人が入植して開墾せねばなりません。東北の開墾は多賀城や仙台郡山のような沿岸からはじまりました。上流から運ばれたミネラル豊富な土壌が河川の下流域に堆積したからです。中流域で水田経営できる水防護岸技術は室町時代終期まで入って来ません。

 

すでに開墾されていた下流域から上流域を見て「良い=収量が多い」と言えるかどうか。これは現代の比較で答えが導けます。吉田川最上流の当地と20キロ下流域の鶴巣地区では田んぼ1反あたりの収量が異なります。どうしても水温や気温が低い当地は比較すれば収量が低いです。よって良い田と呼ばれる理由は薄いと考えます。

 

では芦田はどうでしょう。芦(アシ)は谷地(ヤチ)と呼ばれる水はけの悪い荒れ地を指し、高低差の無い平坦な土地に多く見られる地名です。この地は奥羽山脈の末端です。比較的新しい時代に隆起噴火をはじめた奥羽山脈は、もっとむかしは海の底で、多くの海底沈殿物が堆積した土壌でした。その多くは砂礫層で、もろく侵食されやすい地質です。

 

沢渡地区の西端を流れる吉田川のそこから上流は一気に山がせり上がり、分水嶺まで最大1400メートルも斜面が続きます。山から見れば水は奥羽山脈の噴火で流失した硬い溶岩質の土壌を侵食する間もなく、一気に駆け下る感じです。

 

奥羽山脈に降った雨が吉田川に集まり沢渡地区まで来ると、そこから先は元は海の底の砂礫層になり、容赦無く侵食がはじまります。よって沢渡地区を境に吉田川は大きく風景を変え、下流20キロにわたり深いV字渓谷を形成しているのです。この地形は吉田川だけではなく、仙台以北から岩手県境まで続いています。南北に連なる国道457号線を車で走ると、何度も東西に伸びる小さな丘陵地を越えます。これらはすべて同じように河川侵食によって残された丘陵地で、陸前丘陵と呼ばれています。

 

沢渡地区はタモリさんが大好きな地質のキワに位置しています。さて結論です。下流の品井沼付近ならともかく、このような場所に芦が生える訳がなく。実際、いまでも当地に芦を見つけることはできません。よって地名由来説も根拠が見つけにくいです。いったい吉田の地名はどこから来たのでしょう。

 

なななんと、まだ続く。