杉山台工房 山岳部 / 沢渡の紹介2

左が沢渡の出口にあたる上流の橋の上から。右が沢渡の入口にあたる下流の橋の上から。それぞれ撮影しました。この写真だけで違いに気づいた方はブラタモリ初段です。
左が沢渡の出口にあたる上流の橋の上から。右が沢渡の入口にあたる下流の橋の上から。それぞれ撮影しました。この写真だけで違いに気づいた方はブラタモリ初段です。
沢渡の紹介2
 
沢渡は、さわたりと読みます。地名の由来は実に明快です。この集落に入るためには吉田川を渡らねばなく、沢を渡った場所だから沢渡。「さわわたり」を寒さを凌ぐために極力発語数を少なくしたい東北人が短くした。ここまでは調べる必要もない僕の持論です。間違いないでしょう。
 
では大字の「吉田」はいかに?ここから先はブラタモリ的に解き明かしていきます。あの番組やカワイイ近江ちゃんにご興味のない人にはなんにもおもしろくないはず。先に謝っときます。近江ちゃんも出て来ません。すみません。
 
まず前述の吉田川。語源は上流の吉田から流れてくる川だから。で間違いないはずです。かつて下流にあった広大な沼を江戸時代に干拓した時、流れ込む川はすでに吉田川と呼ばれていました。ちなみにこの沼は品井沼(しないぬま)と言って、宮城県の小学生が社会科見学で必ず訪れる場所です。地名に「ナイ」が付くと言うことはアイヌの言葉を疑ってかかる必要があります。ナイは水の意味。岩手の沼宮内や北海道の稚内、猿内なんかと同じです。なので歴史は長いかもしれません。アイヌやエミシやクリルの人々にも油断と隙を見せず幅広い考察が必要です。
 
では「吉田」の地名はどこから来たのでしょう?普通地名の多くは人名由来か、地形由来のどちらかです。まず人名で考えてみましょう。吉田姓はこのあたりでは岩手県の南沿岸に多いです。陸前高田あたりが発祥で、あの町で「よしださーん」と呼べば10人中5人か6人が振り返ります(ちょっと大げさ)
 
陸前高田や隣接する気仙沼とこの地つながりを考えてみると、無くはなさそうです。江戸時代に大流行した出羽三山詣は、特に沿岸部の商家や漁師に好まれました。講(こう)を組み、その年の代表者が奥羽山脈を越えて今の山形へ往復したのです。地図を見るとこの地は当時商家がたくさんあった石巻や塩釜から出羽三山に向かう最短ルートです。自分の足だけが頼りですから最短ルートを選んでもおかしくありません。沿岸からこの地を目指す動機はありです。
 
なので旅の安全を確保するために、山越えする手前に商家が自前で拠点をつくった可能性があります。同例は信州諏訪から遠州浜名湖に通じる秋葉街道にもあります。ただ、前述の品井沼の通り、江戸時代にはすでに吉田川の地名があったので時期がちょっと合わないです。この仮説はおもしろいけど可能性は低くそうです。
 
なんとこの話、つづいてしまうという。